いざという時の備えはしていても、子連れ被災を未経験のママ達にとっては、具体的なイメージが湧きにくいものです。
実際に災害が起きた時にどのようなことが起こり、何に気を付けなければいけないのでしょうか。大きな災害による避難を経験したママ2人に、当時の出来事を時系列で振り返っていただきました。
連載第2回は、2011年の東日本大震災で帰宅困難を経験したBさんのお話です。
連載1回「子ども3才、熊本地震で車中泊避難を経験したママの体験談」はこちら
目次
◆当時の家族構成:夫、妻、長女2才◆当時の状況:自宅と保育園は神奈川県大和市。夫は東京メトロ「三越前駅」(中央区)、加藤さんは中央線「千駄ヶ谷駅」(渋谷区)と夫婦共に都心に勤務。それぞれの実家も神奈川県藤沢市、兵庫県と祖父母がすぐに迎えに行ける距離ではなかった。
勤務中、ビルの5階にある会社がものすごく揺れ、会社の外に貴重品だけ持って避難。しばらく外で待機してから会社に戻る。
地震直後から何度も保育園に電話をかけるものの、携帯がつながらず連絡がとれない。夫の携帯もつながらない。
九州に住む夫の友人と連絡がとれ、夫は無事とわかる。高校時代に阪神大震災を経験していたBさんは、遠方にかける方がつながりやすいことを知っていたので、何かあったときはお互いに彼に連絡すると決めていた。
夫と連絡がとれ、すでに保育園に連絡ができていた夫から娘が無事と聞く。義母が徒歩で保育園に向かおうとしていたが、保育園から「時間に関係なく預かります」と言われたため、迎えをとりやめてもらう。
自宅が遠い(通常の通勤時間は片道70分)ため、歩いて帰宅する選択肢はなかった。電車が再開するのか、身近な人が無事かどうかなど、情報収集しながら会社に残る。
地下鉄や私鉄の一部の電車が運転再開したので、夫と相談して帰宅をすることを決める。夫が地下鉄と徒歩で11時頃に会社に迎えに。合流して2人で渋谷駅まで歩く。
渋谷駅の主要な入口は混雑が予想されたので、比較的人の少なそうな入口に行くと、入場制限されておらずスムーズに乗れた。各駅停車のみの運行で、通常よりも時間がかかる。
【編集部メモ】大災害時は「むやみに移動を開始しない」が基本原則。3.11の帰宅困難による都市部の混乱を教訓に、安全を確認した上で、事業所や学校等へ滞在することが周知されています。
保育園に残っていた数人の子どもが先生たちといっしょに布団を敷いて寝ていたところにお迎え。給食室で夕飯を用意し、寝かしてくれていた。1才児クラスの中では最後の1人で、ようやく顔を見られてホッとしたのと、見てくれていた先生たちへの感謝でいっぱいに。
テレビで震災のニュースを見て、大きな災害だと実感する。
大きな音に以前よりも驚いたり、寝つきが悪くなったりしました。余震や生活の混乱が心配で、地震から3日後に兵庫にある私の実家へ帰ったのですが、急に帰省したこともあり、「おうちに帰りたい」と泣くこともありました。(Bさん)
私は兵庫県西宮の出身で、高校生の時には阪神大震災を経験しました。その経験から、カセットコンロは常備しておく、お風呂に水を溜めたままにしておく等、多少の備えはしていました。
ただ、東日本大震災は大きすぎる災害で、娘が保育園にいる時の被災を想定しておらず、状況に振り回されて右往左往するばかりでした。
今思うと、保育園で見てもらっていたので無理に帰らなくても大丈夫ではあったのですが、やはり実際に顔を見るまでは安心できませんでした。(Bさん)
最後に、Bさんが避難を経験して教訓にしていることお伺いしました。
――実際に大災害を経験したママの声は重みのあるものでした。育児や仕事に追われる中、つい先送りにしてしまっている防災のことを、改めて考える機会にしていただければと思います。
いざという時、「知らなかった」は一番のリスク。普段からの情報収集、また生活の中に防災を取り入れることを心掛けていきましょう。
(取材・文/リトル・ママ編集部)
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