いざという時の備えはしていても、子連れ被災を未経験のママ達にとっては、具体的なイメージが湧きにくいものです。
実際に災害が起きた時にどのようなことが起こり、何に気を付けなければいけないのでしょうか。大きな災害による避難を経験したママ2人に、当時の出来事を時系列で振り返っていただきました。
第1回は、2016年4月に起きた熊本地震で車中泊避難を経験したAさんのお話です。
第2回「東日本大震災で帰宅困難になったママの体験談」はこちら
目次
◆当時の家族構成:夫、妻、長男3才
◆当時の状況:自宅は熊本県合志市(熊本市に隣接する地区)。夫と2人で障がい者支援施設を運営している。夫婦共に実家は熊本県内で、Aさんの実家は自宅から車で10分以内の場所。地震発生時は、長男が幼稚園に入園したばかりだった。
Aさん宅付近の震度は5強。大きく揺れたが、特に被害もなく、家族の会話も「びっくりしたね」という程度。その後もいくつか余震があったが、次第に収まっていくものと思い、翌日いつも通り幼稚園に登園。
震度6強。深夜に「ドーン」と突き上げる衝撃と、それに続く大きな揺れ。とび起きたが、揺れが激しすぎて立てない。すぐに子どもに覆いかぶさって守る。
部屋は家具が倒れ食器などが割れて、電気もつかない状態。揺れが断続的に続くので、屋内は危険だと判断して駐車場に避難した。眼鏡を忘れていたので、夫が部屋に探しに行く。この間、子どもはずっと泣いていた。
役場の放送が避難指示をしていたので、車で避難所へ。指定避難所の市民センターはすでに人だかりができていた。一旦通過し、食糧を求めてコンビニに行くが棚はほぼ空の状態。なんとか水を1本だけ手に入れる。
避難所に着くが、大勢の人と車の列で大混雑。幼児を連れて入れる状況ではないと判断し、自宅駐車場へ戻る。
余震が続いていて、アパートが崩れる可能性を考え部屋には入らず。車の中で夜を明かすことにしたが、ガソリンが心細くエンジンは切った状態。寒い中、3人で身を寄せ合うが、朝まで一睡もできず。
夜が明け、余震に怯えながら部屋の中へ。全てが床に散乱して足の踏み場もない状態。いくつか必要なものを探し出して、実家へ向かう。
電話で父母の無事は確認していたが、直接会ってひと安心する。実家はいくつかの家具と食器にダメージがあったが、自宅よりは被害が小さい。母がカセットコンロで汁物を作り、みんなで食べる。
夫婦で経営している熊本北部の施設へ息子と共に向かう。固定電話が繋がっていたので、利用者の安否確認をする。安否不明の利用者を訪問し、移動中にガソリンスタンドを探すが、どこも大行列で給油できず。
ひと通り安否確認を終え、施設を少しだけ片付けてアパートに戻る。ライフラインを確認するが、ガスは切れており、水道からは茶色く濁った水が出る。電気は止まっていなかった。
カセットコンロでお湯を沸かし、カップラーメンを3人で食べる。気持ちがだいぶ落ち着いてきたので、部屋を少しだけ片付ける。日が暮れる前に、3人分の毛布と子どものおもちゃを持って車に移動。この日もほぼ眠れず。翌日は夫の実家に移動した。
当日は「これ何なの?」と混乱して、ずっと泣いていました。夜が明けて、祖父母や知人達と顔を合わせることで、少しずつ落ち着いていったようです。
地震後は何度も熱を出し、園に通えない時期が続きました。『1人になりたくない』という気持ちが強かったようです。
災害時には、子どもは大きな不安を感じて、それを表に出せないから大人よりも大変です。こういう時こそ親が冷静に振る舞い、”日常”をできるだけ失わないようにすることが大切だと思いました。(Aさん)
あの地震で、日本のどこにいても災害からは逃れられないことを痛感しました。
前震の揺れも大きかったのですが、本震はその比ではなく、避難所の混乱ぶりやコンビニが空っぽという状態にも呆然としてしまいました。
今では、持ち出し袋の準備や水の確保、メガネをすぐ取れる位置に置く、車のガソリンは常時満タンといったことも習慣になっています。(Aさん)
最後に、Aさんが避難を経験して教訓にしていることお伺いしました。
――次回は、東日本大震災で帰宅困難となったママの体験談を掲載します。
(取材・文/リトル・ママ編集部)
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